取材記事

【取材記事】市役所から仕分け作業を任された「おかん」の話

震災直後の芦屋でのボランティア

阪神淡路大震災が発生直後から、芦屋市役所で泊まり込みでボランティアをしていた「おかん」と呼ばれる女性に出会った。

彼女はボランティアとして救援物資の仕分け作業をしていた。

市役所に集められた物資は地下3階に運ばれたのだが、仕分け作業はいくつかの問題により困難を極めた。

当時の様子を伺い、教訓とすべきことはは主に4つあった。

    【現場のマネジメント】

  1. どの地域で、どの救援物資が必要としているのかが分からない。
  2. 市役所の職員も被災しており現場に駆けつけることができず、現場で判断するしかなかった。
  3. ボランティアが救援物資を食べるべからず。
    【臨機応変な対応ができない】

  1. 実際に震災が起きると、人間は意味不明な行動を取る生き物。
  2. 実践に強い「防災学」を大学で。机上の空論はいらない。
    【防災について】

  1. 大地震が起こると壁ごと倒れて来るのでタンスと天井の間に突っ張り棒をしても無意味。
  2. 避難訓練を見ていても、本気じゃないから意味がない。実際に有事が起こるとどれだけ活かされるのか。
    【風化について】

  1. 20年経つと風化したと感じる。
  2. 時間が経てば、仕方ないけれども…。

彼女が語ってくれたのはボランティアの現場で起きていたREALだ
被災地では刻一刻と状況が変わるため、臨機応変に自分で考えて行動できなければ難しい。彼女が一貫して伝えたかったことは、ボランティアの現場で起きていたマネジメントの問題とモチベーションの差異が、確かにあったということだ。
「おかん」はさらに言葉を続けた。「ボランティア」と「被災者」の言葉の間には大きな隔たりがある。ボランティアは何か手伝えることがあれば、と思い参加する。多くの方がボランティアに参加した1995年はボランティア元年とも呼ばれている。

ボランティアに参加する人が少なければ、支援物資が全国から届いても仕分け作業が遅れていただろう。しかし、届けられた食料をボランティアが食べて公園で宴会をやっていてはダメだろうよ。「おかん」の気持ちを汲み取ると、上記の表現になってしまう。

初めての取材を通じて、それぞれの20年があったのだと確信した。「風化した/していない」と言った声は無数に聞こえた。また、それぞれの真実を音声で記録し、適切な表現で記事にする大変さ・困難さを痛切に感じている。

気を引き締めて、更に編集部では【災害】【戦争】【農業】カテゴリに沿って取材を続けていきたい。

最後までお読みいただきありがとうございます。(編集部)

【音源】
阪神淡路大震災「おかんさん」1/4

「おかんさん」2/4
「おかんさん」3/4
「おかんさん」4/4

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