戦争

【戦後70年】千人塚慰霊法要から淀川の70年前を知る。

今では自然に囲まれ、ランニングをする人、ジョギングをする人、バーベキューをする人、釣りをする人、また家族連れで賑う淀川。そしてその近くの城北公園。

実は、70年前に大阪大空襲で多大な被害を被った場所でもあります。
6月7日に、淀川の辺に建てられている千人塚で慰霊法要が行われるとのことで、参加してきました。

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この千人塚慰霊法要は、主催者の東浦栄一さんの父親が第1回を始め、体験者が毎年150人も集まって来られていたそうです。

そのうち、遺族会の方もだんだん亡くなられましたが、千人塚のことは後世に語り継がなければいけないということで、70年間、毎年6月7日に慰霊法要を開いております。

本日、初めてこの慰霊法要に参加させて頂き、参加者1人1人の想いに触れ、改めてこのような場は残していかなければいけないと感じました。
また、若者もこういう場に参加して当時のことをもっと知って欲しいです。

慰霊法要は、黙祷から始まり、御読経がありました。
会場は異様な雰囲気に包まれ、70年前のことを思い、手を合わせている人や下を向き、想いを馳せている人もいました。

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続いて、法要協賛会代表の東浦栄一さんのお言葉。

P51とB29で合わせて約170機もの戦闘機が大阪の空を舞い、至るところに焼夷弾を撒き散らしました。
淀川は建物がなく水があるので、そのときの避難の場所となっておりましたが、人が集まって来たらそこを狙い撃ちされ、多くの犠牲者が生まれました。

そして、最後に戦争はもう二度といたしません。みなさん、安らかにお過ごしを。と言ってその場を締めました。

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続いて、旭区長の小川明彦さんのお言葉。
凄惨な差別の襲撃から今では市民の憩いの場になるまでに、淀川は元の姿以上のものを取り戻しています。

70年前には、今では考えられないような戦争が起こっていた現実を忘れないように、平和な世界を築く努力をしていきたいです。

そして、それを若い世代にも引き継いでいきたいと、その場を締めました。

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続いて、遺族会代表の辰本喜代子さんのお言葉。
大阪最後の大空襲で、地面を叩きえぐるような音や爆発が至るところであり、みんなが城北公園に避難してきましたが、その人たちを待ち構えていたのも、飛行機の焼夷弾でした。と、残しました。

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続いて、地元選出議員団の御焼香、代表の挨拶があったのちに、NPO法人フェリスモンテ代表の山王丸由紀子さんのお言葉があり、閉会の辞をもって1時間30分の慰霊法要が終わりを告げました。

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一般御焼香ではたくさんの方々が遺族や亡くなられた方々を弔っていて、その光景は目を見張るものがありました。

最後には、みんなで故郷を合唱し、その際には涙をこぼしている方もおられました。

私は初めて慰霊法要に参加しましたが、参加者は高齢者ばかりで若者は一握りしかいません。
参加していた全ての方が「戦争は絶対にもう二度としてはいけない」ということを口にしていました。

当時を知らない私も様々なお話を聞き、胸が痛くなりました。

「戦争はもう二度としてはいけない」
今日の慰霊法要はその想いを一段と強めることになりました。

そして、このように淀川が憩いの場になっているのにも、たくさんの犠牲があったことを決して忘れてはいけません。

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