取材記事

「日が経てばメディアからも消える」震災後ネパールの地を踏んだ学生の声

忘れていないだろうか?

ネパール大地震発生から4カ月。
多くの命によって耕され、育てられた地域や人が一瞬で闇に包まれた。

住人の声

ユニセフ資料
※ユニセフより引用

忘れていないだろうか?
同じ地球の中で、約9,000人の命が失われ、その中でも懸命に生き続ける彼らがいるということを。

暑さが増しはじめた7月。
大阪のとあるカフェにて取材をすることになったのは、
大学4年 渋谷吉孝くん、京都外国語大学4年(休学中) 重田大輝くん。以前、ネパール支援に向けた街頭募金活動をしていたことからREAL VOICEで取材させていただいたこともあり、この度2回目の登場となる。前回の取材後、実際に集めた資金と支援品を持ち現地入りをしたことから、更にREALな現場の声を聴けることになった。

国の復興には、一体何が重要なのだろうか?

R…REAL VOICE取材班
重…重田大輝
渋…渋谷吉孝

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R「お久しぶりです。2人とも、真っ黒に焼けましたね。笑」

重『そうですね。ずっと外にいたこともあるし、やはり募金活動をしていると焼けます。笑』

R「今回、現地入りをして感じたことがも多くあるかと思いますが、具体的な現地の状況や支援の状況を教えて頂けますか?」

渋『はい。今回僕達はネパールのシンドゥリーという場所にあるダラガウン村というところに行きました。この村は、以前僕が学生団体clanを通して支援に携わった土地でもあります。前回の取材でお話しさせていただいた場所ですね。被害状況は写真を見たり現地の人からのメールで聴いたりはしていましたが、正直、想像以上に現場は崩れていて。最初はどこが誰の家とかそういう区別も全くつかない状態でした。村の方から話を聴いたり現地を歩く中でようやく状況が掴めてきたといいますか…本当にここがあの村か?…と、信じられないくらい被害は広がっていました。初日は村を歩き周る中で、地震が起きたことを再確認していた気がします。』

R「なるほど。家屋がかなり崩れている印象を受けましたが、皆さん住まいはどのようにされているのでしょうか?」

渋『僕たちが行った頃は、ほとんどの家が仮設住宅で暮らしているようでした。ただ、仮設と言っても日本のプレハブのような頑丈さはなく、ほぼ半分は崩壊している家屋から取り出した材料で建てているので、日本でいうと小学生が作った秘密基地のような感じです。そのため雨風が強い日は家が飛ばされてしまったり、天井がない家や雨漏りする家も多々ありました。現地入り1日目から結構な雨が降っていて住民の方も肩を落といていたのですが、支援品として50キロ分のブルーシートを持ってきたことから、「タイミング良いよ〜!」と現地の人に喜んで頂けたのが最初の支援となりました。日本製のブルーシートは頑丈で質も良いのでネパールではかなり役に立ちましたね。

家の中、ブルーシート屋根ブルーシートかぶせた

重『家というのも仮設住居は”寝食をするだけの場所”というイメージなので、天井が低くしゃがんだまま生活する家もあります。日中はほとんど家屋の立て直しをしていますね。といっても村自体の面積はそんなに広くなく新たな材料も少ないため、新しい土地に再建するというより、住めなくなった自分たちの家を一度壊してもう一度そこに家を建てる…ということをしています。まだまだ瓦礫でいっぱいの状況なので、まずは作業がしやすいよう瓦礫の撤去をし、家を崩す作業を手伝うことから始めました。』

家屋解体処理

R「家の建て直し…本当に一からの作業という印象を受けます。日中は瓦礫撤去作業と聴きましたが、現地の方はどのように生計を立てているのでしょうか?」

重『僕達の行った場所は村なので、村内で大量の資金を稼ぐのは結構厳しいところがあります。その為、町中に出稼ぎに…タクシードライバーとかしに行くのですが、そもそも観光客がほとんどいないのもあって結局村に戻ってきてる方が多いです。あとは、残った畑で作物を育てているので商品として売買したり、飼育している家畜で取れた牛乳でヨーグルトを作ったりと、各家庭工夫をしながら生計を立てています。ただ、自分たちの食べる分も確保しなくてはならないので、正直そんなに稼ぎが出せないのが現状です。』

渋『村の食料庫が土砂でやられてしまったんです。現地では、とうもろこしを粉末状にしたものが主食になっていたみたいなのですが、なにせ粉なので土砂に触れたらもう使いものにならなかったのが結構痛かったみたいで。』

R「ということは、”観光”がかなりの復興キーワードになりそうですね。」

重『そうですね。現状町中は被害があるものの日常生活を取り戻しているので、ネパール自体は立ち入り禁止にしていた観光名所も解禁したんです。正直、ネパールは震災がある前から自分たちだけでも大変な生活をしてる中で今回の地震が起きたので、お金的にも気持ち的にもしんどいのが本音です。だからこそ、海外渡航のチャンスがある方には、本当に来て欲しいと思います。何よりそれが彼らの励みになり、資金になり、復興への近道となることを今回の現地入りで感じました。』

渋『僕もそれはすごく感じます。現地の方にも「この国に来て欲しい」「アナタが来てくれて嬉しい」「来て元気づけてくれて嬉しい」って言われたんですね。見て欲しい、知ってほしいという気持ちをずっしり感じた日々でした。英語も喋られない方もいる中、フィーリングで伝わってくることもあって。とにかくチャンスがあれば是非来て欲しいと思います。』

R「わたしたちが行くことは観光だけでなく、現地の方の活力になるんですね。最後に1つ現地でのエピソードを頂いてもよろしいですか?」

重『はい。「わたしの家は、ここにありました。是非写真に残してください。」と現地のおばあちゃんに声をかけられたことがあったんです。崩壊された住居にカメラを向けた時、レンズ越しに見たのは泣き崩れた住人の方でした。1枚目は普通に立ってるんです。でも2枚目3枚目…とシャッターを押すに連れ、手で顔を覆い隠したまましゃがみこんでしまって。彼女の背中をさする中、全身で被害の状況を感じました。起きてしまった現実は変えられないからこそ、予防や対策が必要だし震災で受けた傷は一生忘れられないという事実をつきつけられました。』

おばあちゃんと家

渋『その方は、僕の知り合いだったんですけど、あえて僕には心配かけないように重田に声をかけたんでしょうね。その話を聞いた時、この滞在期間でどうにか気持ち的にも元気になってもらいたいと本気で思いました。全力を出しても出来たことはわずかだった、だからこそ帰国後また現地にいこうと決心しました。』

R「ありがとうございます。では最後に読者の皆さんに向けたメッセージをお願いします。」

重『現在のネパールは、物資を送ることより人の力と現地で使える現金を持って行くことが一番の支援だと思います。4ヶ月も経つとニュースではほとんど取り上げないので、今でも危険なイメージがするかと思いますが、町中はそんなことありません。少しでも多くの人にネパールの地を踏んで欲しい、その思いでいっぱいです。』

渋『僕の周りでも今後スタディーツアーとして現地に行く機会も設けています。また僕自身もネパールの方向けに現地の小中学生向けに防災対策の授業をしに行く予定です。行くことが一番の支援にはなるけど、こうやって応援して下さる方がいらっしゃること本当に感謝しています。僕達も先陣切って頑張っていきますので、引き続き応援・ご支援のほどよろしくお願いいたします!』

R「ありがとうございました。今後も講演活動やTV出演もあるとのことなので、この場を通じでお伝えできればなと思います。頑張ってください!」

【編集後記】
2度目の取材はよりREALな現場の様子をお聴きすることができた。私達にできることは「頑張って!」と、物資・支援品を送ることではなく、実際のコミュニケーションや現地に身を置いての支援が一番だということを改めて感じた。大きな組織ではなくても、個々の心が動くことで少しずつ変わる現状。少しでも早く、ネパールの人々に笑顔が戻ることを願う。

今回取材するにあたり、重田大輝さんのブログから、写真を拝借いたしました。このブログには、現地入りしてから1日目、2日目…と毎日の支援の様子が描かれています。さらに現場の様子を知ることが出来ますので、是非御覧ください。

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